BMW 中古車の結果
どこへ着陸するのかなと思っておりましたら、草原に着陸しました。
吹き流しが一本あるだけでした。
一応消防車が待機しておりましたけれども、幸い無事でございました。
それで代理店の候補が迎えてくれまして、連れていかれたホテルが、かやぶきの丸屋根の小屋でした。
「トイレは?」と尋ねますと、いくつかの小屋が立ち並んでおりまして、そこが客室だと、その真ん中がちょっと小さな広場になっておりまして、その真ん中にまた丸屋根の掘っ立て小屋みたいなものがありまして「あれだ」と言うのです。
そこに入ってみますと最初は暗かったのですが、よく目をこらすと真ん中に直径五十センチくらい、深さ六、七メートルの穴が掘ってありまして、どうもそこへ落とせということらしいです。
これは大変なことになったと、おしりのポケットから財布だとか鍵だとかいろんなものを取り出しましてね、そばにそっと置いて、落っこちたら大変ですから。
それで用を足したので、ここでちょっとトヨタ社内の「トヨタマネジメント」という雑誌に、私が書きました基調論文の一節を読ませていただきます。
図って営業もサービスもどんなところへでも行くというチャレンジ精神が、今日の成功につながっていると思います。
中近東アフリカの時代は、アフリカ大陸の東西南北を駆け巡ったが、どこへでも行く、何でも見る、何でもやるという営業・サービス・部品とすべての分野をこなすオールラウンドプレーヤーにならざるを得なかった。
その過程で学んだことは、コミュニケーションの難しさと重要性である。
「日本でも車を作っているのか」と聞かれた時代である。
トヨタ以前に日本について語らねばならなかった。
今でも日本人の西洋についての知識に比較して、西洋人の日本知識は相当低いレベルにある。
私はわれわれ自身が、日本あるいは日本人を二百本空輸するという、当時では本当に思い切った対策を打ちました。
これでトヨタの評価が一気に高まりました。
それから昔のローデシアですね、今のジンバブエですか、そこでも挨の対策というのがございました。
クラウンのステーションワゴンをたくさん輸出しておりましたけれども、そこは非常に細かい赤土の、小麦粉の粉のような挨が立つのです。
もう車で走りますと車の走ったあとに、一分間くらいは赤い土挨が舞い上がって、前も見えないような状況で使われていました。
そういった日本では考えられないような使用条件だったわけであります。
ですから潜水艦のように気密を保つべく、このクラウンのボディーのあらゆる個所に詰め物をしたり、溶接をしたり、とにかく気密を保つという対策をいたしました。
またザイール(現コンゴ)という国では、ディーゼルエンジンが故障しました。
そういったときもトヨタは採算を無視し、対策エンジンを空輸して、お客さんの満足度(顧客満足度)を高める努力をいたしました。
こうした失敗を恐れず代理店とコミニュケーションを企業イメージとサファリラリー調査さて当時、東アフリカでは「サファリラリーに勝たないと車は売れない」と言われました。
トヨタの企業イメージが全くないと言われました。
そこで六三年、ケニア・タンザニア・ウガンダの三国にわたる、五千というようなことをですね、私はトヨタの「トヨタマネジメント」という社内報の論文として書いたのであります。
ことは明記すべきであろう。
コミュニケーションとは勇気であり、チャレンジである。
国際化での過程では、コミュニケーションの基本は語学であるが、その表現のもととなる全体の知識・経験・見識がもっとも重要な条件であることは言うまでもない。
そのためにはたゆまぬ自己研鐙と失敗を恐れぬ開拓冒険精神、何でも見てやろう精神がないとだめだ。
アフリカや中近東の僻地への出張も、忌避するような勇気のないことは、国際人たる資格はない(笑)をよく知っている、ということが国際時代のコミュニケーションの基本だと考える。
語学とうわべの格好だけで国際化したと錯覚している人もいるが、私は明治の先達あるいは海軍軍人のほうが、日本人としてのアイデンティティーを自覚し、外国語もよくマスターし、世界情勢と自分たちの置かれた状況を把握していたように思う。
特に欧米では「あうん」の呼吸などは通じず、歯に衣着せぬディベートの世界である。
わかってくれるだろうというのは甘えであり「求めよ、さらば与えられん」の文化であるがゆえに、イエス・ノーをはっきり言うことが国際化の第一要件である。
逆説的になるが私は若い世代の人に、日本と日本語をもっと勉強してもらいたい。
外国流で丁寧表現ができれば国際人たる資格はあるが、日本語の丁寧語も使いこなせないようでは、国際人たる資格として疑問符がつけられよう。
礼儀作法についてもしかり。
食事や社交の基本ひとつができていないためにメッキが剥げ、本人の人格、資質ばかりでなくトヨタのイメージを損なうことがままある私は一九六九年から七三年までポルトガルのリスボンに四年間滞在しました。
その時の「オー・マイ・テリトリー」というのが次のような地域でした。
当時、中近東アフリカ部が地中海地域をカバーしておりまして、ポルトガル・スペイン・ギリシャ・キプロス・マルタ・モロッコ・リビアといった地中海地域。
それに加えて、西アフリカのコンゴ(昔のザイール)、あるいはカメルーン・中央アフリカ・チャド・ナイジェリア・ガーナ・アイボリーコースト・リベリア・シエラレオネ・セネガル・カナリア諸島。
カナリア諸島はスペインの海外県ですけれども、こういったところが私のテリトリーになりました。
出張で行ったポルトガルが非常に気に入ったものですから「ここに西アフリカをカバーする駐在員事務所を作ったらどうか」と提案忍耐と寛容、情報と改善の七○年代キロのコースを調査いたしました。
この時はトヨタ自工の、後に200OGTを開発して世界スピード記録を作ったKざんという技術屋をヘッドに、日本人六人と現地人の案内役二人でクラウン・コロナ・ランドクルーザーの三台に分乗して、ルートの状況調査と車両の性能と耐久性を調査しました。
私もハンドルを握ってジャングルを抜け、サバンナを走り、泥んこ道にはまりながら、ひたすら走りました。
結論が出るのは早かったです。
トヨタの車はこんな過酷なラリーには耐えうる性能がない。
ドライバー次第、運が七割。
サポートに人・モノ・金がかかりすぎる。
結局、初参加はこの調査の二十一年後、一九八四年のことで、このときは初参加で初優勝したのでした。
現在トヨタはフォーミュラ-1に挑戦中ですが、なかなか成果が出ません。
企業イメージというものは一朝一夕にはできません。
十年、二十年、三十年のスパンでの、たゆまぬ積み重ねが必要となります。
ポルトガルでは当時、日本車というのは年間一メーカー七十五台の完成車しか認められておりませんでした。
それ以上は組み立てをせねばだめだということになっておりましたので、最初は既存の組み立て工場に組み立て委託をしておりましたけれども、やはり自分の工場を作らねばならないということで、苦労して認可をとりました。
トヨタとしてはヨーロッパで初めての組み立て工場を作って、代理店の要請もありまして、トヨタもこのプロジェクトに資本参加することになりました。
このときの体験もたいへん面白い話がありますが、今日は時間がないのでお話しできません。
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